家人にも頻度の問題として
自宅のインテリアをかえることに驚かれます。
テーブルを窓側に動かせば、キャビネットは
壁側に、寝室にあった小さなデスクをリビングに
戻せば、ダイニングで使っていた椅子は玄関へ。
自身でも、とんだ力持ちだと思いながら
夜な夜な、床に広がった埃を拭き取っては
モヤモヤした室内に新しい空気を入れ替えます。
ああ、かえようか、と思うのは
適度な疲労感と倦怠感に包まれたとある一日。
扉を開けた瞬間、玄関に転がった靴から始まり
籠からはみ出た大量の洗濯物、
流し台には重なるように溜め込まれた食器や
床に落ちっぱなしの鉛筆、椅子にかかった上着、
食べかけの菓子袋・・・
散らかりすぎた室内を見渡して思うのです。
これは明日も続くのかと。
そう思うと、まるで背中に付属されている
ゼンマイが少しづつ巻かれるように感じます。
この大量の食器を洗い終わったら気持ちいだろうなとか、
ぱりっとアイロンがかけられたシャッツに袖を通したら
清々しいなとか。
気怠さに気持ちがよかった時の記憶が上書きされたら
ゼンマイも巻き終わり。
あとは動くだけなのです。
同時に今はどんな季節だっけ、どんな光だっけと
イメージが重なります。
大きな食卓テーブルを窓側へ移したら
庭が見えて気持ちがいいなとか、
この季節ならキャビネットの上に飾りたいものが増えて
楽しいなとか。
気持ちよさや楽しさ、心地よさや清々しさ・・・。
そんな漂うような緩やかな気持ちが
インテリアの変化を支えます。
決まりも規則もない、わたし的
「ほどほど」な気持ちインテリです。
]]>
私は料理も苦手で、植物のお世話も苦手ですが、
整理整頓も苦手です。
ものを区別し、きちんと場所をつくってあげるという、
行為がなかなか上手にできず、いつも部屋の真ん中で
途方にくれています。
でもその反動なのか、部屋の壁中には
大好きなもの達が所狭しと、居場所を見つけたかのように
飾られています。
大きな竹細工は梅干しを干すためのものです。
NATURでもお世話になっている職人さんが編まれたもので、
中央はまるでモダンな模様のように
美しく竹が編みこまれています。
もう一つは唐辛子。
こちらは新潟駅の野菜売り場で売られていたもの。
唐辛子の熱くも優しい赤色がきれいできれいで。
スウェーデンに居た頃も、母が日本から何重にも包装して
この唐辛子を送ってくれました。
ものを整理しシンプルに暮らすとは、ほど遠い暮らし方ですが、
スウェーデンの昔の家のように壁中に、家族の写真や
絵、鍋やプティング型などが飾られる様子にも
心惹かれる思いです。
ダリアの物語
ダリアの物語
水は沸かせばお湯になる のこと2
目の前には
幼い頃集めた海外雑誌の切り抜きのような部屋がひろがりました。
]]>水は沸かせばお湯になる のこと2
目の前には
幼い頃集めた海外雑誌の切り抜きのような部屋がひろがりました。
丁寧に塗られた白壁に、板張りの床。
高揚が抑えきれなかった若かりし日の私に、
カーリンは優しくそして滑らかに賃貸の有無について
たずねました。
文句ない・・・そう、答えた私にカーリンは
「そう!OK!はじめましょう。」
簡単な賃貸契約を結び、早速、部屋の案内に。
台所を案内され、洗い場に目をやると蛇口が一つ。
長らく続いた部屋探しに終わりが見えた安堵感と
想像以上の部屋を手に入れたという自負に、すっかりと
舞い上がっていた私は、その一つだけの蛇口に
まさか、と思いました。
「まさか・・・これお湯も出るわよね?」
彼女はにっこりと、そして、はい、来ました、というように
「まさか!もちろん水だけよ。」
カーリンにとって新しい入居先を求める人々と
何度も繰り返されたであろう、この会話。
私はもうひと呼吸おいて
「もう一度、聞くけど、本当にお湯はでないの?」
「ええ、勿論よ!」
「・・・この極寒のスウェーデンで水だけ?」
「そうよ!お湯が必要なら水を沸かせばいいじゃない!」
若干、呆れたように、そしてなかば、
うんざりしたように答えました。
そう、もちろん沸かせば、水はお湯になるとも。
嬉々としていた私が少しずつ現実を見つめ始めたのを
感じたのか、カーリンは意気揚々と
「洗面所は完備しているのよ。」と
白く塗られた扉を開けると、
そこには申し訳なさそうに小さな洗面台が一つ。
もちろん、蛇口は一つ。
と、そこで、「・・・お手洗いは?」と
もう、一つ一つの質問に何とも言えない感情が
わきあがる自分に
「勿論、外よ。みんなで使うの。」と。
部屋の外に出ると、隣室との間に黒く塗られた扉が。
そこがお手洗い。
お手洗いが共同だってどうってことない。
ストックホルムで暮らしていた
小さな学生寮は無機質でまるで独房のようでした。
台所はワンフロアーの住人達と共同、
でも、簡易的で狭いバスとトイレは
各部屋に完備されていたことを思い出し
ハッとして聞きます。
「・・・ところでシャワーは?」
待ってましたとばかりにカーリンは
「ついてきて!」と部屋を飛び出しました。
石造りの螺旋階段を軽快に下り、
錆びた金具の音が鳴る門をあけ隣の建物へ。
「シャワールームも共同でこの建物の地下なの。
嘘か本当か分からないけど、当時、防空壕として使われていたみたい。」
何故、こんなに損傷が激しいのかと疑問に思う扉を開けると
そこにはまるでテレビで観た昔の炭坑の入り口のように
弱いワット数の裸電球が規則正しく地下に下りる階段を照らしていました。
黴臭く、スウェーデンでは珍しい程の湿気、
水が滴る剥き出しの岩肌にギシギシとなる階段。
そして薄暗い地下には剥き出しの岩を掘ったような大きな穴が無数に・・・。
そんな場所には滑稽な程の白い扉。
開けるとそこには取り付けたといか、
設置してみた、というようなボックス型のシャワールーム。
カーリンは笑顔で、
「何があるか分からないから、
携帯だけは必ず一緒に持ってきた方がいいわよ。」と。
カーリンが言う何かには、あえて触れずに
シャワーを浴びるだけなのに必要なものは
携帯以外にも装備したほうがいいけども、と
苦笑いが止まりませんでした。
破格で格安な家賃の理由が解明するばかり。
当時のわたしにとって不慣れな異国での
生活は言葉の面でも乏しく、
そして何より臆病で弱気で、
「こんな条件だって、教えてくれてなかったたじゃない!」
なんて言えやしない。
今だったらその不当性を主張して、
もう一踏ん張り、家賃交渉だって出来るのに。
部屋に戻り、カーリンから鍵を手渡され、
これから起る自分の生活に途方も無い不安を抱いていると、
カーリンが帰り際、
「あぁ、そう。言い忘れたけど、表玄関の扉が古すぎて
冬になると、ホームレスやアルコール中毒の人が
一晩、宿代わりに入って来ちゃうの。
でも、扉開けて寝てても警察には通報しないで。
悪い事はしないはずだから。」
そう告げるカーリンに喉から出掛かる言葉は遅すぎ
彼女は紙一枚の契約書と今月の家賃を握りしめ、
古びた螺旋階段を軽やかに下りていきました。
そう、だってその冬って、今じゃない・・・と。
正直わたしは、この世の終わりだと思いました。
それから確か、一年か二年程、そのアパートに暮らしました。
多少のハプニングはありつつも、
日々の生活に慣れるのが精一杯で、
旧式のオーブンを使いこなしたり、
混雑するシャワールームのベストな時間帯を見極めたり、
それこそ、寒い日の洗顔のための
水と湯の心地いい割合を探ったりと、多かれ少なかれ生活には
順応していきました。
浅間山に雪がおおいはじめるこの季節、
繰り返される毎日の当たり前の光景、
蛇口をひねり、温かな湯が手をつたい流れる度、
この世の終わりだって、目に涙を溜めたあの晩の自分を
懐かしみます。
そして、慣れきった生活に、背を正すかのように
あの頃の生活が教えてくれます。
そう、色々なことを。
水は沸かせばお湯になる のこと
冬が来たなと実感するこの季節、
繰り返される日常の中で、当たり前のように
蛇口をひねり、あたたかなお湯が手をつたい、
食器を洗い、布巾を絞り、盥に溜まった湯を流しと、
たわいもない一コマの中で、
この時期になると発作的に
10年以上前にスウェーデンで暮らした、
あのお化け屋敷アパートの日々が
鮮明に思い出されます。
スウェーデン生活を語る上で、
欠かせない一つが慢性的な住宅難。
たかが、
一部屋借りるだけで一年、二年待ちなんて当たり前。
ウエィティング・リストなるものに登録しても
契約を結べるなんて奇跡といっても、大袈裟ではない程。
しかも、大学を卒業すれば学生という特権もなくなり、
部屋探しは一層、困難を極めます。
一年のストックホルム生活を終え、隣町での
生活をはじめようとした当時の私にとっては、
それこそ、外国人という身分のもと
部屋探しは一番過酷な試練でもありました。
新住居に対する希望は一日一日と
風船のように膨らみ、
その膨らみすぎた希望は、途端、
空気が抜けるようかのように
音をたてて慌ただしく萎んでいく現実が
突きつけられるという繰り返しでした。
ノーとは言える状況ではない中、
希薄な情報で入居を決めたアパートがこれ。
唯一魅力的だったのが
当時では破格な家賃と、
大学へは徒歩で通える街中という立地。
家主と会うため指定された日にちに
この崩れ落ちそうな建物の前に立った時、
その家賃の意味を知りました。
家主は、私が通う大学の卒業生カーリン。
彼女も大学を卒業後、新天地での
生活を控え、住人を募集していました。
スウェーデン美人を絵に描いたような
美しい顔立ちでありながら
快活な印象だったカーリン。
挨拶もそこそこ、カーリンとともに、
大きく重い、古びたエントランス扉を開け、
いざ中へ。
薄暗い螺旋階段を上り、裏切らない程の
古びた扉を旧式な鍵で開けると、
そこはまったくの別世界でした。
カーリンは大学ではインテリア学部を専攻、
そして、一般的なスウェーデン人同様、部屋の内装は
全て彼女が手掛けました。
続く
]]>Peaceful
モノを選ぶにしても
モノを作るにしても
美的な基準があると思います。
その基準は一体何でしょう?
]]>
モノを選ぶにしても
モノを作るにしても
美的な基準があると思います。
その基準は一体何でしょう?
KONSTFACK美術大学時代の
一つ上の学年だった
フレドリックは
いつも
かぎたばこの匂いのする
熊のような大きな手で
僕の背中を力強くたたいて
豪快に笑いながら
問題ない大丈夫だと
助けてくれた。
僕より1年早くに
卒業すると
すぐに大きな賞を
連続受賞して
スターデザイナーになった。
フレドリックのデザインは
彼自身の人柄がフォルムに
見事に投影されている。
椅子も
照明も
フレドリックのようだと
彼と面識のある人だったら
そう思うに違いない。
フレドリックが
ずっと前に
デザインをするうえで
最も大切なのは
Peacefulな記憶と
話してくれた。
それは
穏やかな夏の日に
湖面に浮かぶ
手漕ぎボートの穂先に座って
ズボンを膝まで捲り
足の裏を
柔らかな湖の表面に浮かべ
滑るように進んだ
幼い記憶。
僕にのって
Peacefulな記憶
とはなんだろう。
]]>
裸足のヴェネツィア のこと
黒い瞳 のこと
黒い瞳 のこと
インテリアではない部屋 のこと
大雪の中、自宅から出れないと嘆きつつも
非力ながら、玄関周りの雪をかき続けた毎日。
インテリアではない部屋 のこと
大雪の中、自宅から出れないと嘆きつつも
非力ながら、玄関周りの雪をかき続けた毎日。
旦那さんは慣れない雪道に脚を取られながらも
雪かきのため店舗と自宅を往復してくれているので、
自宅の作業を進めるのは自分の役目と意気込むも、
数十分すると手首は痺れ、足元が冷え込みはじめると、
お茶でも飲もうと早々に家の扉を開ける始末でした。
外よりも暖かな室内の暖気に溜め息をこぼし、
濡れたコートに帽子を脱ぎ捨て、
扉を開けて目の前に鎮座する何も置いてない無機質なテーブルに目をやると
何故だか急に、スーパーに行けたら必ず花を買おうと一人思いました。
でもいい花瓶がうちにはないんだと、思い直し
そうだ、林檎を一袋買って、大皿にのせてもいいな、など
身体は疲労感が残るのに、頭の中は部屋を飾る思案で一杯になりました。
どうしてだろう。
そう思ったとき、級友達と旅したロンドンを思い出しました。
元来の出不精で旅行に出掛けるのは友人の薦めがあって、ようやく。
その時も友人のアンナがロンドン旅行を思いつきました。
今となっては、その旅行の目的は記憶に残っていませんが
そもそも、ロンドンには訪れたこともなく、計画もありませんでした。
それでも、アンナをはじめ、友人達数名で、1週間も満たない
ロンドン旅行を計画、それは勿論、貧乏旅行でした。
出費を抑えるため市内にある男女共同の格安ユースホステルに連泊し
その後、郊外に位置するB&Bに宿を移し、地下鉄を乗り継いで
市内や郊外を観光するのも面白いということで、
飛行機のチケットから宿の手配やらに浮かれる心を抑えつつ、数日が過ぎていきました。
さて当日の朝、私は空港で待ち合わせた4人の友人の姿に驚きました。
荷物はコンパクトにまとめ必要最低限で軽やかにというスタイルに陰ながら憧れ、
私は小さな旅行鞄に必要なものだけを吟味し、
加えて飛行機は格安航空、荷物の制限量も他社と比べかなり厳しいはずでした。
そんな中、現れた友人達のスーツケースは明らかに1~2週間以上の旅行用に使う
大型スーツケースに、小型のキャリーを携える強者まで。
目をぱちくりしていると、アンナが私の荷物を見ながら
「色々考えていたら、全部必要な気になってしまって」と
恥ずかしそうに舌をだし、中身は何?と呆れつつ聞いても、
沢山ありすぎて言えないよと、
可笑しそうに口々に話していました。
一泊目の宿は市内にある小さなホステル。
空港から宿まで大きなスーツケースを助け合いながら押し合い、
慣れない英語表記の地下鉄を乗り継ぎ、歩いていると
ロンドンの大都会の喧噪や華やかさとは裏腹に、
確実に身体に疲労感を覚えさせられました。
ようやく着いた宿のチェックインを済ませ、
指定された部屋の扉を開けると、これまた小さな部屋に
詰め込むように2段ベットがところ狭しと並んでいました。
窓側の奧のベットには先客のヒョッロとした男性が2名。
アンナはあからさまに溜め息をつき、
「上手くいけば私達で、この部屋を使えると思ったのに」と、
悔しがりました。
彼らに簡単な挨拶を済ませ、各々がどこのベットを
取るか話し合っていると、その痩せた男性が
自分たちも外国からで仕事を探しにロンドンに来たと、
早口で自己紹介をした。
多分、彼らは彼らで、上手く行けばこの同室の女の子達と
仲良く飲みにでもと、企んでいたのかもしれません。
アンナはぶっきらぼうに、「私達は観光」と
投げ捨てるように伝えると、その様子に男性2名は
すごすごと自分たちのベットに戻っていきました。
「スウェーデンっていうと、いまだに誤解する男がいるの」と
嫌悪感一杯に顔を歪めました。
そんな彼女達の大きな大きなスーツケースは
今や開けられる事もなく
狭いベットの間に押し込まれ所在なげに
この旅の始まりを静観するかのようでした。
それでも私達にとっては楽しい海外旅行と気分を変え、
次の日は簡単に朝食を済ませ、市内の地下鉄を
乗り継ぎ、目的地まで。
夜は、ロンドンならと皆でパブに寄り、カウンターで
フィッシュ&チップスを頼み、値段の高さに不平をこぼしながらも
なまぬるいビールで喉を潤しました。
明日も早いからと、早々に宿に到着し、思い思い過ごしていると
一人の友人が「どうしよう」と今にも泣き出しそうに
上の段のベットにいた私を覗き込みます。
どうしたの?と聞くと、彼女は元々、アレルギーがあって
食事面は自分で気を付けることができるんだけど・・・このシーツが
と大きな目から涙がこぼすばかり。
皆で彼女の側に集まると、彼女の身体全体が真っ赤な湿疹で腫上がっていました。
確認すると、この宿で使用している化学洗剤が
彼女の皮膚に合わないことが判明しました。
湿疹は時間を追うごとに赤く痒みを増し、こういった安い宿には
つきものの問題かもしれないと友人達と悩んでいると、彼女が私に、
「スウェーデンに電話を掛けたいけど、どうしたらいいの?」と
消え入る声でたずねました。
てっきり病院に対応を聞くのかと思ったら、恋人の声が聞きたいと。
国番号を教えると、即座に電話を掛け、彼の声が聞こえた途端、
彼女は、はち切れんばかりの大きな声で泣き出し、事の顛末を恋人に聞かせました。
皆もそんな彼女を見かねて「もう、これは宿をかえるしかない」と同意しました。
連泊をキャンセルして、郊外のB&Bに前倒しで泊まらせてもらう事になり
フロントにはアンナが話をつけてくれて、先方も友人の湿疹に対して
対応ができないという理由で快く、キャンセルを受け付けてくれました。
次の日、ベット脇に押し込められたいた大きなスーツケース達は
郊外の新たな宿にむかうため、また慣れない道のりを押し合いへし合い
不器用に石畳を小さなタイヤで頼りなく転がっていきました。
しなしながら
その郊外のB&Bは期待を超える程、申し分なく
小さな家の可愛らしい宿でした。
立地が不便ということもあって、
値段も抑え気味でありながら、清潔な玄関口で出迎えてくれたのは
さわやかな印象の白髪の男性でした。
彼は慣れたように朝食のことや部屋の使い方を説明してくれて
遥々スウェーデンからやってきた私達を親切に労ってくれました。
指定された部屋の扉を開けると、大きめな部屋に
人数分の小さめなベット、清潔な真っ白いシーツに、
窓は懐かしい小花が刺繍されたレースのカーテンで縁取られ、
床は深い緑の短毛の絨毯に、
ワイン色のビロードで張られた安楽椅子が
私達に安住を約束してくれるかのようでした。
友人も洗い立てのシーツに鼻を近づけ
「石けん洗剤の香りがする」と目を潤ませ一安心したよう。
各自、大きなスーツケースをベットの横に置き、
待ってましたとばかり荷解きを始めました。
私は、皆の鞄からは何が出てくるのかと
興味深々で作業を見守るとアンナは重そうな鞄から
うす布で包まれた綺麗に細工された
アンティークの写真立てを幾つか取り出し
「これが、私の恋人、これは両親で、これは愛犬の写真と・・・」と
ベットの小脇にあったテーブルはアンナの家族や恋人の写真で
一杯になり、それから恋人に贈る手編みのセーターを
この旅で作ろうかと思ってと、
小さな可愛らしい籠に収められた色とりどりの毛糸玉に編み棒と、
それとこれは祖母から贈られた大事な一品で、と話しながら
枕の上にかぶせる大振りのレースを取り出しては、
途端に小さなベットはスウェーデンのアンナの部屋のように
変貌していきました。
「ねえ、これをみて!」もう一人の友人が私に声をかけ、
同様に鞄から大事そうに取り出したのは、旦那さんとの
想い出の骨董市で見つけたという
艶やかな色や花でデザインされた日本の古い長襦袢。
「これはガウンに使うの」と嬉しそうに話し、
ベット脇にあるハンガーに飾るように掛け、
それからこれも、と、中国を旅行した際に見つけたという
鮮やかなビーズで刺繍された室内履きを床に揃え、
こちらも可愛らしい子供達や家族を写した写真立てを並べては、
自分たちの場所をつくりあげる事に終始、熱中していました。
数ヶ月の長旅ではない、1週間程の短い旅なのに、と
半ば呆れつつも、無機的な自分のベットと比べると
小さな香水瓶や恋人に宛てるためレターセット、
写真立てやレースで飾られた
友人達の場所はまるで別世界のようでした。
大きな鞄に込められていた彼女達の大事な生活の断片。
確かに、これだけの量ならこの鞄の意味があると
妙に納得してしまいましたが、
心地よい空間をつくりあげた彼女達は、
まるで自分の部屋のように実に、
リラックスしながら恋愛や親のこと、
または子供のことなどを
書きかけの手紙や刺繍、編み物に手をかけながら
短い夜を深く堪能するように過ごしました。
それから珍道中はありながらも、無事、スウェーデンの空港に到着すると
出迎えたのは各々のパートナー。
彼らは最愛の恋人や妻を見つけると、不器用に走り寄り小脇に抱えていた一本の赤い薔薇を手渡し、
熱く抱きしめる姿は、さながら映画のクライマックスのように劇的でした。
そんな劇的な再会に呆れつつも各自のパートナーに短い挨拶を交わし、一人バス停まで歩き
夜空を見上げては、彼女達の愛情に溢れた部屋を想像します。
きっと今日も贈られたあの赤い薔薇は、可愛らしい小さな瓶に飾られるのだろうと。
「私の大事なおもいで。」と言って。
窓辺か、ベットサイドか、小さなテーブルに。
そうだ、私も花を買って帰るか、旅のおもいでとして。
都会的でデザイン性の高い北欧のインテリア。
でもそんな代名詞だけの「インテリア」という言葉だけでは片付けられない
スウェーデン人の「部屋」に対する大切な部分を感じた旅でした。
欠けたコップ のこと
もう20年近く前のお話です。
]]>欠けたコップ のこと
もう20年近く前のお話です。
近代的な建物に住む友人が多い中で
私が10年程住んでいたスウェーデンの港町、
ヨーテボリーの最初のアパートは、
時代に取り残された、まるで旧時代の香りを漂わせる
今にも崩れ落ちそうな古い建物でした。
そのため、毎年のように立ち退きの噂はアパート中の
住人を怯えさせ、ある年は駐車場に変わる、
また別の年は大型スーパーに変わるなど、
どこから来たか分からない噂に少なからず翻弄されていました。
その日目覚めたのは、週末の遅い午後。
昨晩、友人達と過ごした長い一夜のため
家路に着いたのは遅く、今日は明らかな寝坊でした。
ベットから這い出て一歩一歩、歩く度に疼く頭を抑え、
いつものように台所のガスレンジにマッチを一本すります。
薬缶から慌ただしく蒸気が噴くのを待ちながら、ふと窓の外に目をやると、
アパートの中庭には珍しく数人の住人達が、
遅い春の日差しを待ちわびたかのように集まっていました。
まだ若葉の芽も出ていない枯れたような木の下には、
アルコールに溺れた男性達が輪になり最後の一滴を絞り出そうと
何度も空のビール瓶を傾けては首を振り、
幼子達が走り回る姿を虚ろな目で眺める若い母親の指先には
灰になる寸前の煙草がいつまでもゆっくりと燃え続けていました。
このアパートは丁度、高速道路沿いに建っており、
大型のトラックや無数の車が走り抜けるたびに、
古く薄い窓はけたたましく揺れ動き
その振動が伝わる窓に手を置いては、中庭を眺め続けていました。
それからいつもように珈琲を入れ、PCを起動させようと・・・、
つきません。ブレーカーが落ちたのかと思い
何度か試し、他のスイッチを回してもつかない。
玄関を出て、踊り場や共同トイレのスイッチを試すも、同様につかない。
ここのアパートで初めての停電でした。
待っていればそのうち回復するだろうと呑気に過ごし、
簡単な食事を済ませてから15分、30分、それから
1時間経っても停電は続きました。
いつまでも続く、停電。
いくらなんでも他の住人が気付くだろうと思いつつも、
一向に回復する見込みはありませんでした。
今日中に仕上げなくてはいけない論文が一本あり、焦り始めました。
身支度を済ませ隣人の扉を叩いても返事はありませんでした。
ドアに耳を近づけても物音一つなく、階下に下り知り合いの扉を叩いても
返事はなく、その隣の扉を続けて叩いてもまたもや留守。
申し合わせたように3階建ての住人達は全員留守でした。
部屋に戻り、窓の外に目を向けると若い母親や
ビール瓶を傾けていた男性達はまるで一瞬に消えたかのように
いなくなり、中庭はいつものようにそらぞらしい様子でした。
とにかく今は週末、どこに電話を掛けていいのか分からず、
真っ暗な部屋の中、傾き始めた太陽を横目に冷めた珈琲を手に思案していると、
一つ叩いていない扉を思い出しました。
ここは3階立て、そうだ、1階の住人に聞いてみよう。
日当りが悪く日中でも明かりが必要な螺旋階段下りながら、
1階の同様に古びた扉を2、3度ノックしました。
留守かもな・・・と思い、引き返そうとすると扉はゆっくりと慎重に開きました。
私は開いた扉の隙間に、
ここ数時間、ずっと停電で、どこに連絡したかいいのか分からない、もしよければ助けてくれないだろうか・・・。
滑り込ませるように説明すると、少しずつ開きました。
そこに立っていたのは小花が刺繍された、
色の抜けたような赤いスカーフに頭を巻き、
足元を覆うほどの黒くビロードのワンピースに身を包んだ
どこかの国の年老いた女性でした。
てっきりスウェーデン人が住んでいるのだろうと思っていたので、
驚きつつも、その女性に改めて突然の訪問の非礼を詫びました。
そしてもう一度、丁寧に事の顛末を説明すると、彼女の表情は和らぎ、私の手に重ねるように手を置き、無言で部屋に招き入れてくれました。
いや、玄関で大丈夫・・・、
そう言いつつも彼女に手を引かれ入った部屋はとても小さなちいさな部屋でした。
私の隣人の部屋も階下の知り合いの部屋も同じ間取りで、全て一緒かと思っていたのに
彼女の部屋は台所の広さにも満たない小さな部屋でした。
その部屋には二つのベットが隣り合うように置かれ、
その一つに彼女の夫であろう同じ年頃の痩せた男性が座っていました。
部屋に一つしかない窓からは僅かに傾きかけた日の光が入るものの
ベットには黒っぽい布が被せられ、
その布が一層この部屋を暗く印象付けるかのようでした。
彼女のスカーフのように赤い小花が散りばめられた壁紙は所々破れ、色は煤け傷んでおり
高い位置に飾られた古い金の額縁には、褪せてしまった白黒の家族写真が
罅が入ったガラスに大事そうに収められていました。
ご主人は手招きをし、向いのベットに座るように託しました。
それは申し訳ないと思いつつも、部屋も見回しても椅子はなく
言われたように腰掛け彼と向かい合うと、真っ直ぐに私を見つめ
優しく微笑んでくれました。
それからガラスが重なり合う音に目を向けると、彼女が小さな
台所、といっても電気コンロ一つと水道の蛇口がある暗がりの場所で
お茶を入れてくれているようでした。
私はご主人に顔を向け、もう一度、突然の訪問についてお詫びをし、
簡単に自己紹介をしましたが、彼はただゆっくりと微笑むばかり。
私は拙いスウェーデン語と英語をおり混ぜながら、
どこからいらっしゃのか、もう一度聞きました。
しかし彼は私の手に手を重ね、同様に無言で二三度ポンポンと優しく動かすばかり。
それから数分後、奥さんは小さなお盆に金で縁取られた、
これまた小さなガラスのコップを、飲んでという手振りで私に渡してくれました。
小さな金縁のガラスのコップの飲み口は所々、欠けていました。
唇を切らないように慎重に口を付けて飲む姿を見届けると、二人は続けて
飲み始めました。紅茶のような温かな飲み物には砂糖がたっぷりと入っていました。
美味しい、そう微笑むと二人共もう一度優しく笑顔をつくってくれました。
それからどのくらいこの部屋にいたのかは覚えていません。
心地よい沈黙の中、完全に日が落ち部屋が真っ暗になった途端、
奧の暗がりの台所の裸電球に光が灯りました。
点いた、よかった、ありがとう。
言葉が通じないながらもそういうと、ご主人と固い握手を交わし
同じように彼女は優しく私の手に手を重ね玄関まで見送ってくれました。
本当にごめんなさい、でも、ありがとう、安心しました・・・。
そう言うと彼女は私の頬に小さな手を置き、
まるで言葉以外の全てを理解してくれたかのように
ゆっくりと笑顔で微笑んでくれました。
また会ったら、挨拶をしよう、おはようございます、この間はありがとう・・・と
そう思いながら階段を駆け上がりました。
しかしそれ以降、不思議な程、彼らに出会うことはありませんでした。
共同の洗濯場でも、中庭でも、シャワールームでも表玄関でも。
1階の彼らの扉はいつもように固くしっかりと閉ざされているばかり。
それからスウェーデンでの生活にもなれ始めた頃、少しずつこの国が持つ
もう一つの顔を、移住の一人として感じるようになりました。
あのご夫婦は遠い国からの移民だったのかもしれません。
愛する祖国から深い悲しみと共に身一つで逃れ半年だろうか、それとも、もう何十年も
あの暗く小さな部屋に住み、新しい言語を覚えるには難しく、新たな仕事を得るには年を重ねており、
あのベットに腰掛けながら、今日も妻が淹れる甘い紅茶と共に過ごしているのかもしれない。
もう一度、あの扉をノックすれば良かったのだと、
今でも後悔する時があります。
そしてもう一度、ありがとうと、伝えれば良かったのだ、と。
若い母親に屈託の無い幼子、ビール瓶を傾ける男性達に、
そしてあの優しい老夫婦。
あの古びたアパートで受けた「言葉」以上の優しさを今でも
深く心に後悔と共に刻み込みます。
あの欠けたコップとともに。
ボロボロになったキッチンクロス。
これは10年以上前にスウェーデンの知人から、結婚のお祝い頂いた麻のクロスです。
「お祝い」や「プレゼント」、ましてや、
「結婚祝い」となると、私はいつもいつも悩んでしまう。
「もの」は特に難しく、お贈りする方に喜んで頂けるもの、
邪魔にならないもの、使っていただけるもの、
センスが光るもの、そして、出来るならお祝いごとだし、
豪華に見えるものがいいのかなど、頭の中は、
何日もパニック状態。
でもこのクロス1枚頂いて、そして毎日使わせて
頂いて思いました。
料理は苦手でも、洗う食器は毎日のこと。
キッチンクロスは何枚あってもありがたい。
ましてや、上質な麻のクロス。
ガシガシ食器を拭いて、ゴシゴシ洗濯機で洗い、
アイロンをかけずとも素晴らしく上品な
表情でお台所に佇んでくれます。
こういったものが、スッと贈れる女性は
素敵だな、と。
雑誌をパラパラとめくっていたら、
ヨーロッパでは植物を育てるのが上手な人を
「グリーンフィンガーの持ち主」と呼ぶ
]]>雑誌をパラパラとめくっていたら、
ヨーロッパでは植物を育てるのが上手な人を
「グリーンフィンガーの持ち主」と呼ぶ、
と書かれていました。
緑の指・・・
奇跡的と言ってもいいほど、
あのサボテンさえも枯らしたことがある私にとっては
なんとも縁遠いお話しだと、思いつつ
雑誌を閉じました。
それから数日経って買い物の帰り、スーパー横にある花屋を覘くと
隅のほうに隠れながらも小指ほどの小さな白い花を咲かせた胡蝶蘭を見つけました。
私がスウェーデン・ストックホルムに渡り、まだ日が浅かった頃。
旦那さんを介して、スウェーデン人のご主人と日本人女性の
50代ぐらいの御夫婦を紹介してくれました。
奥様は、渡欧当時、本当に苦労された方で、
今以上に不便で、何の情報もなかったであろう
未知な外国生活の中で、
御自身の看護士という専門職をスウェーデンでも続けられるように、
懸命に国際資格を取られ、今では通訳というまたまた
専門的なお仕事が出来るほど、スウェーデン語を流暢に話され、
今のご主人様と温かなご家庭を築かれた女性でした。
確かまだ19歳か20歳頃の、何の考えもない浅く、
若いだけだった私にとっては、
そんな大人の女性にお食事をご招待して頂いたり、
対等にお話しする機会は、汗が滴り落ちる程の緊張でした。
ご自宅でのお食事は、日本食から離れた私たちを気遣って下さり、
手巻き寿司などを中心に、まるで御自分達の家族を迎えるかのように
本当に心温かい、素晴らしいおもてなしをして下さいました。
それでも、食器はどのタイミングでキッチンに運んだほうがいいものか、
気の利いた会話ってなんなのか、本当に分からずで、
何か言えば、ちょっと空気を読み間違えた発言をしてしまったり、
若さかな、今思うと、何を話していたんだろうと赤面する程の有様でした。
いつからか緊張が勝手に苦手意識へ変わりつつあった頃、
学生生活を続けながらも、簡単な通訳のお仕事を頂いた初めての時。
丁度、お給料を頂いた当日が、ご夫婦のご自宅へお伺いする日でした。
高級街に建つ、有名な花屋さんに立ち寄り小さな胡蝶蘭を購入しました。
いきなりで、なんと言って手渡せばいいのか、とにかく、「これ・・・」とだけしか
言わずに、心の中の感謝の言葉もろくに伝えられず
お渡ししたかと思います。
それからすぐに私は、ヨーテボリーという街に越して数年経った頃、
本当に久しぶりにお二人のご自宅にお招き頂いた時に、
部屋の窓側に一つの蘭が背筋を伸ばすように咲き誇っていました。
「あの時、あなたからいただいたものよ。」
そう一言、嬉しそうに奥様は
背中越しに言ってくださったのを今でも思い出します。
あれから何年経ったでしょうか。
サボテンさえも枯らしたことのある私の駄目な指は
あのグリーンフィンガーを持った女性のように、
この胡蝶蘭を育てられるのか。
そう思って一つ一つ、棚の上に小さな植物を増やしております。
]]>ゴロンと床に置かれた箱。我が家には大きさも素材も異なる箱がたくさんあります。子供が隠れられてしまうほど大きな箱から小さな箱まで。
]]>我が家には大きさも素材も異なる箱がたくさんあります。
子供が隠れられてしまうほど大きな箱から小さな箱まで。
その使い方は本来の目的とは違う目的で使われて、様々な品がしまわれます。
しまわれる品は、時と場合によって様々変わります。
大小様々な大きさの箱に色々なものが収納され
我が家のインテリアでは大活躍の箱たちをご紹介します。
松材をスウェーデンの伝統工芸技術を使って薄く剥いで籠のように編まれて作られた古い箱は、今は掃除用具がしまわれています。かごの箱は軽くて丈夫なので模様替えをする際に簡単に移動できることが利点です。それから仕切りが少ないので色々なものが収納できることなど実は利点がたくさんあります。
鋼鉄と真鍮とチークと松材を組み合わせた宝箱のような古い箱には、しまうところが困る猫の砂やご飯などが隠してあります。サイズが大きな箱の裏にはキャスターを付けると掃除の際に便利です。
大工自身が作ったであろうペンキで青く塗られた道具箱は、直接、壁にネジで固定してしまい子供のおもちゃを飾りました。仕切りの多い箱は、立たせて使うと小さな品を飾るのに便利です。
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師走の大掃除を兼ねた模様替えをしました。家族が集まれるような場所を作りたくて冬だからこそグリーンを集めて温室のような場所を作りました。
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家族が集まれるような場所を作りたくて
冬だからこそグリーンを集めて温室のような場所を作りました。
グリーンは特別なものではなく、私たちはものぐさですぐに植物を枯れさせてしまうので簡単に育てられるものだけしか育てません。あまり高価でないほどほどのサイズの植物を大きめの植木鉢に移し替え、時間をかけて大きく育てています。
植木鉢もサイズが大きな陶器であれば植木鉢でないものを植木鉢として使ってしまいます。写真の立方体の陶器はスウェーデンの古い水道管関連の設備に使用していた部材だったそうです。
夏はごろりと寝転ぶベットタイプの背もたれのないデイベットを使っていましたが、冬は室内で時間を過ごすことが多くなるので、1Fのゲストルームで使っていた背もたれ付きのデイベットと今まで2Fで使っていた背もたれのないデイベットを交換しました。ゲストルームで使用していた少しくたびれてきたデイベッドの青い生地はリビングに合うように麻生地に張り替え、黒い牛革ボタンでボタン締めをしました。寝転がることが多いデイベットは、1年中肌さわりが気持ち良い麻がオススメです。冬の貴重な陽の光を楽しみながらお茶をしたり読書をしたり子供たちが絵を描ける空間になればと思います。
デイベットの前に置いたアアルトのコーヒーテーブルは、実はダイニングテーブルだったのですがアアルトのベンチの短い脚と交換して作り変えたものです。同じデザインの脚を様々なプロダクトに応用しているアアルトの家具ならではの汎用性です。アアルトの家具の脚は木ねじで固定されているだけですので、ネジを外して取り替えるのも容易です。もしなんども脚を取り替えてネジ穴が大きくなってしまったら、ネジ穴に細い木の棒を差し込んでから木ネジを締めることでネジの緩みを抑えることができます。
小さなクリスマススペースも作りました。クリスマスのディスプレイは1ヶ月と長い期間飾るので、ほどほどに。日常生活と調和させながら季節のイベントを大切にしています。クリスマスまでの間に、森に散歩に行って木の枝や松ぼっくり拾ったり、形の綺麗な林檎を飾ったり自然のものを飾りに使い、加えたり削ったりしながら楽しみます。
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1897年にスウェーデン人思想家エレン ケイが執筆した [ Beauty in the home ] には、スウェーデン人の質素な生活の中に潜むささやかな美を愛でる美的感覚が書かれています。エレン ケイは美しさの感覚は「lagom」に見出されると言います。「lagom」とは、“適度”、“ほどほど”、“ちょうど良い” などの意味を持つスウェーデン語です。気分や味や様々の状態を表されるときに使われるとても便利な言葉ですが、謙虚でスウェーデン人の人柄を表す言葉であると同時に、スウェーデン人の生き方を表していると思います。
“ほどほど”には、インテリアを楽しむための大切なことがたくさん詰まっています。
それは
“装飾主義に偏りすぎない適度な慎ましい嗜み”
“ものへの愛情と深い理解による適切な使用方法”
それから大事なのは
“ほどほどから生まれる自由な遊び心”
です。
それらの思想は現代においても脈々とスウェーデン人の生活へ受け継がれています。
それは言い換えれば、多くを求めずに、自分にとって大切なものを見つけて、何よりその大切な感覚を楽しむことだと思います。
特にスウェーデンの田舎のサマーハウスは質素で清貧な美意識が詰め込まれた空間で、私たちの憧れです。
“ほどほどインテリア” では少しずつわたしたちのちょうど良いをご紹介させていただけたらと思います。