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Lagom:ほどほどインテリアVol.9

Lagom:ほどほどインテリアVol.9

黒い瞳 のこと

慢性的な住宅難ということもあり
一年ごとに繰り返されたスウェーデンでの引っ越し。
片手では数えきれないほど、
毎年のように、
転居を余儀なくされていました。
その年も、当たり前のように早い時期から住宅情報を
ながめては溜め息をつき、またながめてはという一日を
過ごしていました。

夕方近くになって一件、これはと思える家賃が見つかり早速受話器を。

電話口に出たのは、私とそうは年齢は変わらないであろう若い女性でした。
私はもう何遍も復唱したであろう簡単な自己紹介をし、
日本人であることを名乗ると、ちょっとの間が。
ああ、断られるなと思いきや、その女性はとても明るく
じゃ、直接、自宅にいらっしゃいよ、その方が早いからと、
まるで友人を誘うように言葉をかけてくれました。

彼女と会ったのはその一日の、数時間のみ。

でも今も時折、私は彼女を思い出します。
緩やかなウェーブをえがく長く黒い髪を結い上げ、
太く力強い眉毛の下には
宝石ような大きな黒い瞳に真っ直ぐな鼻筋。

真っ青なソファーに座るそんな彼女はとても印象的な存在でした。

部屋を案内され、お互いの条件を確認すること数十分。
賃貸の条件において譲歩が出来る箇所が見つからず、
では早々にと、席を立とうとした時、
彼女は私がどこから来たかと、もう一度確認しました。

えっと・・・日本よ、と
浮いた腰をもう一度ソファーに埋めました。
そう、随分遠くから来たのね・・・と、彼女。
それから当たり前のようにあなたは?と質問すると、
彼女はくっきりとした口元で、話してくれました。

長い間内戦が激化し続け、当時でも、国際的に広く知れた国から
彼女は移民としてスウェーデンに渡ってきたこと教えてくれました。
終わることのない戦いで父親や従兄弟、多くの家族を失い、
そして母国には今も、もしかしたらこれからも戻れないこと。

ここスウェーデンでの暮らしはそんな状況のもと、
仕事でたった小さな間違えを起こしただけでも、
怒鳴られ、国へ帰れ、と罵られること。

ホント馬鹿みたいと、
小さく笑って彼女は同意を求めるように
でも、外国暮らしは大変よね、と
まるで私に対する労りさえも感じるほど彼女は優しい眼差しで
淡々となんでもない会話のように話しをしていました。

彼女の前で、私が発するであろう言葉は、
薄っぺらな紙のようにヒラヒラと、心ないもののように感じられ
ただ、彼女の話に耳を傾け、午後の日差しに照らされる美しい彼女と
膝の上に組んだ頼りない自分の両手を交代にみることで精一杯でした。

それでも彼女は私の家族が元気であることを喜び、
小さな誤解がうみ出す偏見に憤慨し、
国や状況は違えど、異国で暮らす年齢はかわらない私達が
直面するであろう問題にお互い共感し、同意し、会話を重ねました。

数時間か、それとも数十分だったのか、僅かな時間を共有しながらも
玄関へむかい、固く握手を交わし、
扉に手をかけると、彼女は私の肩に手をかけ言いました。

あなたの幸せを心から信じているわ・・・と。

たったひと言、別れ際、笑顔で言いました。

通りにでて、顔を埋めるようにコートの襟をただし思いました。
どうして彼女は、
渦巻く混沌とした溺れるような悲しみにのまれることなく、他者を労り愛せるのかと。
どうして彼女は、
癒えることはない深い傷と共に、枯れるほど流した涙におぼれることなく、他者を慈しみ思いやれるのか。

何かに直面する度に彼女の真っ直ぐな黒い瞳をおもいだします。
わたしは彼女のようになれるのか、と。
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